先日ココで、僕の写真をたくさん使った
したの、覚えてますか?
遂にそちらが完成したというコトで、
今回は要覧作りに大いに関わった
コチラの方とお会いして来ました浦河のデザイン事務所
グラフィックデザイナーをされている
山口このみさん。
今回、町勢要覧の構成などを
担当していただきました
去年、コロナでおうち時間が始まった頃
浦河の地域おこし協力隊の方が
「うらかわぬりえ」って作ってくれたの
覚えてる人いるかな?↓
実はこのぬりえを作ってくれたのが山口さんで、
山口さんは去年10月まで
地域おこし協力隊員として
活動をされてた方なのです
ずっと会ってみたいと思ってましたが、
山口さん、今回はこの取材のために
ファイターズ仕様の着物で
お越しいただきました帯もファイターズカラーでコーディネート♪後ろ部分はWLHSユニを加工してます
かなり気合を入れて来ていただいた山口さん。
僕も心して取材させていただきますよ!山口さんは元々、浦河町のご出身。
高校まで浦河で過ごした後、
旭川の大学に進学して
卒業後は札幌の会社で就職されてました。
札幌の職場では産休や育休も取っていいよと
言われ、安心して働いていたそうです。
ところが、ご主人と一緒に里帰りするたび
ご主人が浦河をすっかり気に入ってしまい、
ご主人から浦河への移住を提案されたとのこと
ご主人は海のない芦別市の出身で、
海がある浦河の風景に癒されたらしいですね
移住の際ネックになるのが仕事探しですが、
転職してまで浦河に来たいという気持ちが強く、
職探しの末、農協への転職が無事決定。
山口さんもその後、地域おこし協力隊の
求人に応募して採用されたそうです。協力隊に着任したのが2017年の1月。
早速町のイベント作りなどを担当したけど、
最初はいろいろ大変だったそうです
それまでの会社勤めでは、仕事で困っても
誰かしら助けてくれる人が周囲にいたけど、
今度は自分一人きりでやらなきゃいけない。
それから、地方あるあるなんだけど、
特に港町の浦河では、決して悪気はなくても
「当たりの強い」人が多いそうで
最初はそうした町民の方々とのやり取りで
少々たじろいだことも少なくなかったとか
ただ、何度も足を運んでいるうちに
年配の方々とかも次第に心を開いてきて
向こうから声を掛けてきてくれることも
増えたそうです
みんな、本当は良い人なんですよね
そんな山口さんが手掛けたイベントですが、↑こちらは浜町通りの「HAMASAI」。 ↑「浦河桜まつり」では、着物の着付けの
イベントなどもされたそうですよ
地域おこし協力隊の任期は3年。
協力隊の先輩や、役場の方々からの
「先を考えて1年目からやってかないと、
あっという間に3年経ってしまうよ」
というアドバイスを受け、
山口さんは任期終了後を見据えて
着任して1年経った頃には、
新たな自分の事業所の申請をしていたそうです。
それまでずっとデザインの仕事をしてきたので
経営に関する知識がなかったそうですが、
分からないことは「中間機関」や
役場の方が丁寧に教えて助けてくれたとのこと。
「中間機関」とは、浦河町内にある会社で
協力隊の方々のスケジュール管理や
仕事上の町民との繋がりをサポートするなど、
困った時に何かと手助けをしてくれる方達だそうで。
全てのまちの協力隊にこういうサポートが
ある訳じゃないみたいだけど、
浦河のこの体制は心強いですよね
こうして山口さんは、
途中約10ヵ月の産休・育休を経て
昨年10月、協力隊の任期を満了。
今は自分の事務所「Komi desigN」を立ち上げ、
各種イベントのチラシやポスター、
リーフレットのデザインなどを手掛けています。↑町内施設のこんなデザインも担当。
今はコロナ禍でイベントやお祭りは
軒並み中止にはなってますが
役場からも仕事の依頼はあって、
こんな中でも仕事はある程度順調だそうです。
任期を終えても町に住み続けて
町と良い関係を維持できてるのは、
スゴく理想の姿と言えますよね
高校を卒業して町を出るまでは
町内にはやりたい仕事がなく、
将来Uターンすることもないと
思っていたという山口さん。
今はこれまで学んだことや
前職のスキルを活かした仕事を
見事に地元で実現しています
生まれた時からずっと住んでると、
地元の魅力に気付かないことって多いですよね。
一度町を出ても、「外から目線」を
身に着けて地元にUターンしてくる人が
もっと増えればいいな、と思います。
山口さん、今後も活躍を願ってますよ!
そんな山口さんが構成・デザインを担当した
浦河町の町勢要覧。
ほぼ全ページに僕の写真が載ってます
今後、主に町外のイベントや移住フェアなどで
配っていく予定だそうですが、
気になる方はぜひコチラまでお問合せください!