ツアー第2弾、由仁町の紹介が
しばらく止まってましたが💦
ここからまた再開します!
今日は由仁を知る人なら
誰でも気になるコチラのお店をご紹介!東京ホルモン。
由仁なのに、ナンで東京?
…って、最初みんな思いますよね?
その辺しっかり聞いてきましたよお相手はオーナーの窪田 裕司さん。今回はなんと、お店自慢のホルモンを
オーナー自ら焼きながら
お話ししていただきました!
まず気になる店名の由来なんですが、
ナゼ「東京」ホルモンなんでしょーか?このお店の創業は昭和30年代ごろ。
何でも、きちんとした資料が残ってないんで
はっきりしないそうなんですが、
窪田さん曰く、昭和36年(1961年)に
保健所の認可が出てるのが、現状
確認の取れる一番古いデータなんだとか
なので一応創業62年ということにしてるけど、
もっと前からやってたんじゃないの?
って言う人もいるんだそうです(笑)。
そして創業者の初代オーナーが
由仁に来る前東京に住んでたそうで、
当時は時代性も相まって
東京方面から来た人だから
「東京さん」と呼ばれてたんだそうです。
ちなみに初代が由仁に来た当初やってたのは、
馬の鞍や鐙を製造する「馬具屋さん」。
しかしその後、時代の変遷と共に
馬具の需要が減ってきたこともあって
食堂に鞍替えしたそうなんですね。
で、「東京さん」がやってる食堂なんで
「東京食堂」という名で開業して
最初はラーメンや蕎麦も出してたんだけど、
ホルモンをメニューに加えるようになったら
ホルモンばかり売れるようになったんだとか。
元々革製品を扱う商売だったんで、
家畜を解体・加工する「屠畜場」に
ツテがあったことがホルモンを始めた
理由なのかも?ってことなんですが、
ホルモンは調理に手間がかかることもあって
「東京ホルモン」としてホルモン専門店に
なったという経緯なんだそうです。
ところで窪田さんは3代目ってことで、
僕はてっきり初代のお孫さんかと思ってたら
実はそうじゃないらしい
窪田さんの先代にあたる2代目オーナーは
初代の息子さんなんですが、
実は2代目と窪田さんは親子関係ではなく
「弟子入り」した形なんだそうです元々由仁出身の窪田さんにとって、
東京ホルモンは子どもの頃から
生活の一部に溶け込んでいたお店。
お祭りの日とかお盆とか、
家でご馳走の出るイベントがある時や
何か頑張ったご褒美の時に、家族と
東京ホルモンによく行ってたそうなんですね。
窪田さんに限らず、由仁には
そういう人達多いようなんです。
しかし跡取りがいなかったことから
先代が店を畳もうかと考えていた時、
そんな「地域の一番店」である名物を
無くしちゃいけないという想いを
強く抱いた窪田さんが、
「だったら自分に継がせて!」と
一方的に弟子入り志願したんだとか。
ちなみに窪田さん、お店を継ぐ前は
サラリーマンをしてたそうで、
飲食はほぼ未経験。
それまでは包丁を握ったことも
なかったそうです。
ただ、先代とは元々子どもの頃から
お互い顔見知りで、会合の後などに
一緒に飲むこともあって、ある程度
気心も知れていた関係だったそうで、
窪田さんの強い想いを感じ取ったのか、
「お前がやるんだったら」
と受け入れてくれたんだとか
そうして「弟子入り」した窪田さん。
「3年面倒を見てやるが、店はお前がすぐ引き継げ」
と言われてお店を引き継いたそうです。
先代はその言葉通り、最初の1年は
毎日店に出てくれたそうですが、
2年目は大体半分くらいになって、
3年目には「あとはお前出来るワ」
と言ってスッパリ引退されたそうで
先代もずいぶん思い切った方だけど、
窪田さんもその信頼に応えて、
この店を継ぐなら少なくとも5年の間は
余計なことはせず、まずやれることを
一つずつしっかりやりながら
「今のまま」を続けていこうと
心に決めたそうです。
そうして窪田さんがお店を継いで18年。
製造量の増加に伴って
若干の変更を加えた部分はあるものの、
味付けや原材料などは
今まで一度も変えてないそうですよ。
…そんなドラマチックな話を聞いてるうちに
ホルモンが焼き上がりました~実はさっきから美味しそ~な匂いがして
ずっと気になってたんだよね(笑)。そんな東京ホルモンの「ウリ」は
まず第一に、丁寧に加工されたホルモン。
ホルモンは内臓の肉なので、
要らない部分を取り除いてから
必要な部分を洗ってカットする
「掃除」の作業に手間がかかるんですが、
その作業を機械に頼らず手作業で
どの店よりも丁寧にやっているという
自負があるそうですそしてこの特徴的なみそだれ。
ホルモンにも下味が付いてるんだけど、
どちらのタレも先代から教わった、
窪田さんと奥さんしか知らない
秘伝のタレなんだそうですよ実際に取材の後いただきましたが、
これはマジ絶品です!
今に至るまでの物語を聞いた後なんで、
その味にまた一つ奥深さが加わった
気がしましたね
ちなみに窪田さんは
由仁後援会の理事を務めてらして
バリバリのファイターズファンなんですが、
僕が2012年に212ロケで由仁町を訪れた時も
東京ホルモンには寄ってるんですねちなみにコチラがその時の写真↓あ~、確かにココの小上がりの
一番奥の席で写真撮ってますね↓
で、DVDの第7巻持ってる方は
見ていただくと最後の方に
斎藤佑樹投手に応援メッセージを
贈ってる子ども達が出てくるんだけど、
こちらが実は窪田さんの息子さん達。
窪田さん曰く、僕がキッカケで
ファンクラブに入ってくれたそうです。
末っ子の息子さんは今春高校に入って
野球に没頭してるそうなんですが、
彼が野球始めたのも
B・Bがキッカケなんじゃないのかな?
とのことでした
いや~こういうのホント嬉しいな~!
何度か書いてるかもしれないけど、
いつかこういう子がファイターズに入って
「僕が野球始めたのはB・Bがキッカケです!」
って言ってくれるのを夢見てるんです
…と、最後はちょっと話がそれましたが(笑)
コチラの「東京ホルモン」、
ツアー初日の夕食会場として押さえてます
ぜひ皆さん、由仁で東京を味わってくださいね
コメント
8 件のコメント
今年からファイターズファンになって、BBさんのブログも拝見しております!こちらのお店、北海道に寄る際にぜひ行ってみたいお店リストに加えさせてください!いつかBBさんに会える日も、、、あったらいいな!北海道も暑い日々が続きますが、頑張ってください。
こんばんは。「できるワ」の表記が面白い。ホルモンうまそー。昔は東京から来た人って珍しかったんだろうね。B・Bの気になるお店シリーズって212の時にも訪れた店多い気がする。DVD全巻あるけどデッキの方が壊れて再生できない。B・Bがキッカケと言ってもらえることを夢見るB・Bがかわいい。
私がマスコット大好きになったのはB•Bにグリーティングしてもらったのがきっかけですよ〜☆
いつもありがとう(^o^)
由仁町ツアーの晩御飯も楽しみ~♪
大好きな味を残したいと跡を継がれた
窪田さん格好いいです!
お子さん達が野球を始めるきっかけになったとは嬉しいね☺️
私もファイターズを好きになったのは
B・Bがきっかけですよ♡
このグツグツ感が、たまらない〜!😋
めっちゃ美味しそうです。食べてみたい!
東京ホルモンの看板は、見かけた様な気はしますが、何処かに向かってる最中に通っただけかな〜…スミマセン、ちゃんと覚えてなくて💦
道中通過するだけのお店って、かなり沢山ありますねぇ。見かけて気になりすぎて、Uターンする事もけっこーあります🤣(当たりだと嬉しいw)
お店の歴史を聞くと、もっと美味しく頂けそーです。いつか行ってみなくっちゃ!B・Bの紹介してくれたお店、リストアップしたらとんでもない数になりそー😊
.
そして、B・Bがきっかけで…のくだり、読んでて口角が上がりますね〜😄
いつか、そんな選手が出て来ますよ、きっと!
もちろん自分は、こんだけ試合に行くようになったのは、B・Bがきっかけです!マチガイナイ!😆
B・Bこんにちは
DVD見ましたよっ👀
212物語[第7巻]はB・Bのサイン入りだった。日付は2012年12月1日。丸井さんのファイターズショップDVD即売会で買ったなぁーとか、2012年は優勝した年だったなぁーとか、DVDを見て、大空と大地の中でを聴いて、いろいろ想い出しました😭
松山千春さん明後日エスコンに来られますが、果て~し~な~い~🎶を唄ってくれないかな🙄?
野球に没頭されている息子さんがいつかB・Bや佑ちゃんに直接会える日が来てくれるといいな…。
由仁町はむかーしユンニの湯に行ったことがあるけど、しばらく訪れていません。東京ホルモンをぜひ食べに行きたい😋
DVD持ってて良かった❗️
B・Bツアーでみんなで鑑賞するのもよいかも。
今は売ってないのでダビングしてほしいのもありますよ。1つ紛失しちゃいました😢
東京ホルモン話の内容も味わいがありました。
B・B、お久しぶりー😅
なかなかコメント出来ずすみません💦
腰がなかなか良くならなくて…
やっと日常生活に、支障が無くなったわー。
と、私の近況報告は良しとして😅
さっき、由仁の友人が教えてくれたんだけど、甲子園行きを決めた、札幌日大高校の4番打者が、こちら窪田さんのご子息なんだってねー😆
【由仁の子いるなー】とは思ってたんだけど、まさかだよー!
うれしいねー🥹
2年生で4番だなんて、スゴ過ぎる👏
北北海道は、その友人の次男くんの母校の白樺学園が甲子園行きを決めたし、友人も、甲子園行きそうな勢いだよー😆
私も行きたい🤭
B・B、知ってるかもだけど、念の為お知らせでしたー🙇